単行本

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コトバのあなた マンガのわたし―萩尾望都対談集 1980年代編

コトバのあなた マンガのわたし

プチフラワー 1984年7月号(No.25)

著者萩尾望都
出版社河出書房新社
刊行年月2012.5.30
頁数286p
定価1,470円
ISBN978-4-309-27328-0

目次

第1章吉本隆明「自己表現としての少女マンガ」『ユリイカ』1981年7月臨時増刊号p7~66
第2章野田秀樹Part.1 「オフレコにしてくれます?」「美談」1984年10月7日p67~90
Part.2「夢は舞台を駆けめぐる」「戯曲 半神」1987年10月20日p91~109
第3章光瀬 龍「百億の昼と千億の夜」『月刊アウト』1984年4月号p111~144
第4章種村季弘「吸血鬼幻想」『ユリイカ』1980年1月号p145~184
第5章小笠原豊樹
+川又千秋
「レイ・ブラッドベリの魅力」『別冊奇想天外14号 レイ・ブラッドベリ大全集』1981年p185~235
エッセイ「ブラッドベリ体験」萩尾望都p236~242
第6章伊藤理佐「おんなの扉」語りおろしp243~283
あとがき「80年代―もっと柔軟に」萩尾望都p284~285
1980年代編は哲学者、脚本家、SF作家など全員男性陣の文筆業者。比較的入手しやすい雑誌が初出のため、残念ながら未読はなかったのですが、最後の対談の伊藤理佐がやはり出色。私はもともとリサっちのファンなので楽しみ。そうしたら萩尾先生もファンだったんですね。
吉本隆明
この対談を初めて読んだときに、このかみ合わなさはなかなか印象的な対談だなと感じました。途中から萩尾先生が苛立っているところがはっきりと見て取れます。「年配の方はこちらの作品を好まれますね」的なイヤミに始まり、「わからない。」とキッパリ言って返しておられます。「1970年代編」の漫画家の先生方やSF作家の方々に対しては敬意がにじみ出るのですが、この吉本隆明に対しては拒絶を明確に表に出しています。
吉本隆明が途中から暴走して自分の土俵に無理矢理持ち込もうとしている姿が醜悪とまでは言いませんが、正直無理してるなぁと感じます。典型的なのが「全部男性で描いているけれど、これは全部女性でしょう」の部分です。繰り返ししつこく言っている。これは「少女と少女の世界」であると。いやもう「少年の性というものが」って言ってんだろうが!と言いたくなるところを萩尾先生はぐっとこらえ、あくまでも描かれているのは少年で、読者の対象が少女であることをきちんと返します。
吉本隆明はあくまでも「トーマの心臓」で描かれているのが少年であることを否定し続けます。直接的ではないにせよ、それはこの作品が同性愛の表象の一つの形であることを否定しているということになりますでしょうか。さすがにそれはどうなんでしょうね。かみ合うはずがない。それが頂点に達すると、司会とばかり話をし始め、いったい誰と対談しているのかわからなくなって迷走している様など、知の巨人の赤裸々な姿で、それはそれで貴重な価値のある対談でしょう。
野田秀樹
天才的なクリエイターとの共同での脚本化は苦しくも楽しい作業だったのでしょう。この舞台、萩尾先生の「半神」と「モザイク・ラセン」をモチーフに戯曲化したものですが、オリジナルのトーンはきちんと押さえているし、面白く仕上がっているし、さすがだなと思っています。萩尾先生も対談中、楽しそうにお見受けします。
野田秀樹との対談は全部で6回あるそうですが、この2回のほかは私はあと2回分(初演のパンフと1999年の『演劇ぶっく』)しか押さえていません。テレビの方はビデオにでも収録されているのか、そしてあと1回はパンフレットを全公演もっているわけではないので、どこかに収録されているのか、ご存知の方教えて下さい。
光瀬 龍
米沢嘉博さんが司会という豪華な対談。「百億の昼と千億の夜」が描かれた経緯が詳しく語られていますが、もうずいぶん前に連載も終わっているせいか、落ち着いた会話になっていますね。イメージアルバムの発売を記念しての対談ですが、何故1984年頃なのかと思いましたら、この前に「宇宙叙事詩「星の光と伝説」」が出てるんですね。その流れかなと。
最後の方に出てくる萩尾先生の初恋話は他では言ってないと思いますので、希少価値ありです。
種村季弘
この対談を初めて読んだときは見たことがなかった1979年の「ドラキュラ―その愛」の舞台ポスターですが、後に写真ですが見るチャンスがありました。これは素晴らしい出来だと思います。そしてやはり当然図版として入っていますね!この舞台のパンフレットが欲しいです。
小笠原豊樹+川又千秋
ブラッドベリという作家はSF作家のわりに平易で幻想的で親しみやすい。その上、世界観が明確です。だから萩尾先生もブラッドベリを読むとすっかりその世界にはまってしまうのでしょう。この鼎談、萩尾先生の発言が少なくてちょっと消化不良なので、ブラッドベリに関するエッセイが追加されていて、非常にすっきりとして良い構成だと思いました。
伊藤理佐
伊藤理佐先生(以下リサっちと略)と萩尾先生の接点をマンガの中で発見したのは、私はこの対談にも図版が入っている「文藝別冊 吉田戦車」でした。画業40周年記念のパーティでご夫妻は萩尾先生の原画を落札されています。萩尾先生とリサっちの出会いはここに講談社漫画賞受賞時と書かれていましたので、2005年頃のことでしょう。
「残酷な神が支配する」は萩尾先生が本格的にエロスを作品に取り入れた初めての作品でした。この作品について萩尾先生が語られる機会は多かったのですが、虐待等テーマの方に話が行ってしまい、エロスについて触れられることがなかったため、今回初めて伺うことができました。リサっちの功績は大きいです。ジェルミのお尻について指摘して下さり、ありがとうございます。

萩尾先生がリサっちに「結婚したら辞めるのが当たり前の時代だった」ことをお話すると、大変だったことは知っているけれど体験していないのでとリサっちが返す。すると、「大変な時代のことは考えなくていいんですよ。今が当然だと思っててくださったほうがいいんです。」とのお言葉に感激。さすが萩尾先生。
ちょうど自分も今いろいろなことで「昔は大変だったのよ」攻撃に遭ってるからかもしれません。今の方が恵まれていて、それは先達の努力によるものだということは重々承知して感謝しているのですが、あまり言われてしまうとげんなりしてしまうというか…。自分も下の世代に「大変だったのよ」攻撃はしないようにしようと思いました。

また、萩尾先生の言う「説教しない」「ウンチクをかたらない」。ストーリー漫画家を続けたければ、これは実は重要なルールなのでしょう。文章の方の話ですが、エッセイは好きなのですが、頭にするっと入って残らない。同じことを小説で形を変えて、ストーリー化して言ってくれて初めて残るという傾向があるから、これはよくわかります。
CLAMPを最初に読んだとき、小学生がいかに説教を求めているのか、驚いたものです。小学生向けだから良いものの、大人に説教を始めたら、やはりストーリーテラーとしては終わりかなと思います。

ところで、萩尾先生がお子様にタラモサラダを食べさせたときの「あー!」はこのご夫婦の性格がわからないと、ちょっと伝わりにくい事件なのですが、もともとお二人とも“食”にはこだわりのあるタイプです。それが作品にも生きています。そして「まんが親」「おかあさんの扉」の連載を両方とも読んでいると段階を追って子育て状況がわかります。生後1年くらいで一度離乳食を始めたのですが、豆腐を食べさせようとしたリサっちに吉田さんが「さすがにそれは早すぎる。アレルギー源になりやすい」と注意をし、リサっちは離乳食について再度勉強を始めると「離乳食をやめる」と宣言し、もう少し母乳のみで育てると決意します。子供にものを食べさせる喜びを知ってしまった吉田さんが反対しても、もう聞き入れません。
そこへ「タラコ(魚卵)」「イモ」「バター」「小麦粉」といったアレルギー発生源になりやすいものの固まりのような「タラモサラダ」が食べ物としては初めて入ってしまったので、ご夫婦はパニックを起こしたわけです。結局は「物を食べる」ということに対する欲求に目覚めてしまったお子様によって離乳食を再開せざるを得なくなるのですが。すみません。かなり余計な話でした。

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