2017年9月10日

萩尾望都先生と森見登美彦先生の対談イベントに行ってきました

萩尾望都×森見登美彦対談イベント2017年9月9日(土)14:00から萩尾望都先生と森見登美彦先生の対談が神戸ゆかりの美術館の上のオルビスホールで開かれました。13:15の開場時には長蛇の列になっていました。宇宙船のような曲線を描くオルビスホールですが、入口には熱い空気がたまっていました。ファンの熱気のせいもあったでしょう。今回の対談は追って会場内に設置されたテレビで編集されたものが流されるそうなので、主に萩尾望都先生の発言をピックアップしてレポートします。メモと記憶で再構成していますので間違いがあるかもしれません。

このお二人の対談は初めてではありませんが、こういう場所ではないと思います。森見先生もおっとりタイプで、萩尾先生の対談としてはとても珍しく、萩尾先生が引っ張っていく形です。いつもは対談のお相手の方がお話をされる量が多いのですが、今回は萩尾先生の方がお話をされていました。でも萩尾先生が時折森見先生に丸投げしていて、ひどいなーと思いましたが(笑)会場は爆笑でした。お二人ともおっとりした感じで上品な対談でした。

司会進行は甲南大学准教授の増田のぞみ先生。お若いけれど関西の少女マンガ研究を牽引する論客のお一人として知られた方です。図版を提示しながら、お話を進めるという、たいへんなお仕事を難なくこなされていらっしゃってました。

(まずは「萩尾望都SF原画展」が開かれた経緯を萩尾先生から。)
「萩尾望都SFアートワークス」の出版からこの原画展を開くことになりました。河出書房の編集者がこのイラスト集の企画をもってきて、最初は早川書房に描いた表紙カバーのイラストなど、あまり知られていないイラストを集めようという話だったのが、どんどん話が大きくなっていって、たくさんのイラストを収録することになってしまいました。私はずっと小学館で仕事をしているので、小学館の編集者からなぜこれをうちで出さずに河出が出すんだと怒られたので、謝りました。...河出の編集者が(会場笑)。

この原画展はまず昨年吉祥寺で開かれました。新潟では全部黒いパネルを貼って、そこに原画を展示していたそうです。自分は吉祥寺も新潟も見に行ってないので、昨日の内覧会で初めて見ました。いろいろなものがぶらさがっていたりしてほえーっとなっていました(※注:タペストリーなどのことだと思います)。この頃はデッサンがちゃんとしていたなーなんて思いながら見てました(会場笑)。吉祥寺の会場に比べると新潟は広いので、原画の点数を増やすと言われ、ひえー聞いてないよと思ったり。コピー(複製原画)を追加したりしました。


スター・レッド(「お気に入りのイラストは?」と聞かれて、スター・レッドのレッド星のイラストが表示されました。)

「スター・レッド」は急に企画が決まった作品です。3日後に予告カット入れて、そのあとすぐに表紙を描いてと言われて、そんな無茶なという仕事だったのですが、お世話になっている編集者だったので(注:山本順也氏です)引き受けました。本当に見切り発車で始めたのはこの作品だけです。火星人の女の子のことを考えて、赤い目、白い髪かなと思って描きました。ちょうどその頃SF大会があって、光瀬龍先生にお会いしたので「今度、火星の話を描くんです」と言ったら「火星人はみんな赤い目、白い髪になるんだよね。」と言われて、「え?なぜ知ってるの?まさか見られちゃったの?」とびっくりしました(笑)。

1回目のネームをつくった段階でその先は何も決まっていませんでした。でも不思議と重要なキャラクターは1回目にほとんど登場しています。エルグを描いたとき、そんなに重要なキャラクターになるとは思っていなかったのですが、描いているうちにセイに「火星に連れて行ってあげようか?」と言い出したので、じゃあ彼はどこから来たんだろうと考え始めて、そこからキャラクター設定が決まって重要なキャラクターになりました。

バルバラ異界
(気に入ったキャラクターの話の続き。「バルバラ異界」の青葉とキリヤの絵が登場しました。)
もう一つ産みの苦しみを味わった作品として「バルバラ異界」があります。最初は4回くらいの連載で終わる小ぶりの作品のつもりでした。1回目のネームを描いた途端に「何か違う」と思ったんです。でも何が違うのかわからない。このまま描き続けていくと、必ず行き詰まると思いました。1回目の絵を描きながら、次のネームをつくらなくてはとスケッチブックにいたずら描きをしていると、キリヤが出て来ました。この子が「自分は渡会の息子だ」と主張して譲らないので、2回目からのお話を、それまで考えていたものと全然違うものにして描き始めました。

(「11人いる!」のプロットの話)
この人は今、何パーセントくらい焦っているんだろうと考えながらプロットに書き込んで行きます。すると、その感情の動きに合わせて、表情を描くことができます。30パーセントだから汗は二つ、とか。

(森見先生からSF原画展の感想を)
「西風のことば」が気になりました。いま僕は奈良に住んでいるので、古代のような未来のような絵ですね。

(萩尾先生がそれに対して)
「西風のことば」は丹後に行って帰ってきてから描いたものです。丹後では遺跡が発掘されていました。

(今回の原画展に文庫のカバーが多い話)
カバーは印刷がきれいなので、結構細かく描いても見える。それならどんなふうに描いても良いのではないかと思って描きました。

(森見先生との出会いの話)
(森見先生)
新潮社のはなれのような日本家屋で対談したのが初対面です。「四畳半王国見聞録」の刊行記念で編集者と僕とで相談して萩尾先生に対談をお願いしました。

(萩尾先生)
対談などは呼ばれたら時間が許す限り行くのですが、行ったらすごいイケメンが座ってて、あらどうしましょうと思いました(会場笑)。

森見作品では「ペンギン・ハイウェイ」が好きです(※あとがきを書かれてます)。言葉のリズムに音楽的なものを感じます。この言葉のリズムってなんだろう?ワルツかな?と19世紀のウィーンが浮かんできました。ヨハン・シュトラウスとか、品の良いイメージの音楽が聞こえてきますと。

(森見先生のお返事)
自分はよく大正から昭和初期の作家の作品を読むので、彼らのリズムに影響されているのかもしれません。

(森見先生。萩尾作品との出会いについて)
自分が高校生のとき、お母さんが入院しました。このとき、叔母さんがお母さんに差し入れした本が「11人いる!」だったんです。これを横から自分が取っていって読んだのが最初です。大学生になり、「トーマの心臓」や「ポーの一族」を読みました。四畳半の部屋で読んだ「トーマの心臓」が自分の中ではすごく印象に残ってます。

(萩尾先生のSFとの出会いのお話)
小学生のとき、学級文庫や学校の図書館でギリシャ神話などを読んでいました。その後、少年少女SF全集が出てきます(※1956年頃から少年少女向けのSF小説全集が各種出始めます)。それを読んで現実とファンタジーの間をいったりきたりする感覚にひたっていました。

(ここから萩尾先生のSF談義が始まります。全部萩尾先生がコメントを述べられているのですが、書名をメモするので精一杯でした)

アン・レッキー「叛逆航路」
オーソンスコット・カード「道を視る少年」
ジョー・ホールドマン「終わりなき戦い」
チャイナ・ミエヴィル「言語都市」「都市と都市」
フレドリック・ブラウン「火星人ゴーホーム」
レイ・ブラッドベリ「華氏451度」
小松左京「日本沈没」...この本が出た頃、目を悪くしてしまって、マネージャーの城さんに朗読をしてもらいました。でも城さんは私が寝ている間に自分は一人で読み終わってしまって、次の日、続きを読んでと頼んでも、もう読んじゃったからと読んでくれません。「それで、日本はどうなったの?」と聞くと「沈没しちゃったよ?」と。ひどいでしょう?(会場笑)。

筒井康隆「霊長類、南へ」
A・E・ヴァンヴォークト「宇宙船ビーグル号の冒険」
アーサー・C・クラーク「幼年期の終わり」
ハインライン「異星の客」
エドガー・ライス・バローズ「火星のプリンセス」「火星の大元帥カーター」
アーシュラ・K・ル・グウィン「闇の左手」...この作品では男女が周期的に入れ替わります。これが「11人いる!」のヒントになりました。

(森見登美彦先生のオススメSF)
藤子・F・不二雄「ドラえもん」
フィリップ・K・ディック「高い塔の男」
スタニスワフ・レム「ソラリス」...「ソラリス」と「ペンギン・ハイウェイ」の関係についてお話をされてました。


(「ピアリス」の話。「ピアリス」を書くことになった経緯、中断してしまった経緯、そして今回出版することになった経緯をお話をになりました。「ピアリス」の最後のインタビューをご覧ください。)
木下司というペンネームを使っていたのは、たぶん文章を書くのが恥ずかしかったんでしょう。
(これに対して森見先生)
文章を読めば萩尾さんだなってわかります。もしくはものすごい萩尾マニアが書いた作品だと思ったんじゃないかと。萩尾さんの他の漫画といろいろつながっていますよね。

(「美しの神の伝え」の話)
描きたい話がたくさんあるのに、絵を描くのが遅いので、おいつかないんです。SFの短編小説として書かせてもらったものを集めたものがこの本です。文章を書くのは頭の中に浮かんだイメージを文章に落とし込むので必死です。
「マージナル」はいい男祭り、「美しの神の伝え」は美少年祭り。いい男を描くのは楽しいです。何を着せよう?どこで脱がそうかと考えて楽しんでいます。

(森見先生の「美しの神の伝え」に対する感想)
昔、ファンタジーノベル大賞を受賞した北野勇作さんや佐藤茂さんの作品を思い起こします。マンガだからこそ出来る表現、文字だからこそ出来る表現があります。萩尾望都先生のはイメージを文字にしているけれど、僕はビジュアルと言葉が混じり合った文章を書いていると思う。言葉の要素が強いです。

(これに対して萩尾先生が)
小説家の文章を読んでいると、言葉の力がすごく入ってくることがある。それはすごい力となることがあります。

(SFだからこそ書けるものは何か?との質問に萩尾先生)
SFは物語を自由に書けるので解放されます。私たちが生きているこの世界の他にも世界のがあるということに救いがあります。宇宙だけでなくお化けなんかも含めてです。ここだけでないどこかがある。そういうものがあることで、気持ちが楽になります。

(今にここにある現実を描くこと、ここではないどこかの世界を描くことはどうバランスをとっておられるのでしょうか?という質問。すごく悩んで萩尾望都先生は森見先生に最初丸投げしていました。森見さんどうですか?と)
僕の作品ではどのくらい我々の世界(今にここにある現実の世界)のルールを入れるかどうかは、作品ごとに決まります。

(萩尾先生は森見先生に答えさせている間、じっと考えていておもむろに)
SFでは時折超能力者が出てきますが、超能力者が何でもできることになると、おもしろくなくなります。何でもできないようにしなければと考えます。ファンタジーの世界は何でもできるけれど、何でもできないようにしないとつまらないです。

(舞台やドラマ、映画など別のメディアのお話)
「ポーの一族」がこの近くの宝塚で舞台になります。演出の小池修一郎さんとはずっと前からの知り合いで、会った最初のときから「ポーの一族」をやりたいと言われていて、「どうぞどうぞ、お任せします」と言ってあります。ですが、いろいろと難しいようで、なかなかうまくいきませんでした。もう小池さんが生きている間は無理かしら?と思っていたら、話が進んだんです。でも、昨年「ポーの一族」の続編を描いて発表しました。今回宝塚の舞台ができることになったのは「ポーの一族」の続編に便乗したわけではないと皆さんに言ってくださいね、と小池さんに言われています。

(スタジオライフなど、舞台化された作品がありますが、ご自分の作品が舞台になることについて、どう思われますか?)
生身の役者さんがやるのを、一観客としておもしろがっています。マンガの世界が動いている、紙の上で描いたものが立体になっていることに驚いています。マンガを描くとき、地面にいるときは舞台を思い描いていると作りやすいです。俯瞰の目で描くときは、映画的なイメージが出てきます。

(作品が舞台や映画、テレビなどになるとき、注文などされますか?)
一度OKしたら、何も言わないことにしています。お申し出をお断りすることもありますが、断っても断っても何度も何度もアプローチされて、面倒くさくなってOKしたら、思いの外うまくいった作品が「イグアナの娘」です。
それから、企画はあがっても、ものになる前にポシャることはよくあります。

(最近の活動について)
『月刊YOU』に「王妃マルゴ」を描いています。アシスタントさんたちに「いつ結婚するの?いつ大人になるの?と」言われてましたが、ようやく結婚して大人になりました。
来年は「ポーの一族」の続きを描きたいです(拍手が起きる)。
あと、森見さんと恩田陸さんと3人で日本ファンタジーノベル大賞の選考委員をやっていて、選考会が来月あります。

(質疑応答。最近のSFと古典的なSFの違いについて。萩尾先生はまたここでも答えにつまって最初は森見先生に丸投げします 笑)。
僕たちの世代は上の世代のおかげで「ドラえもん」のような作品たちにSFはすでに取り込まれていて、自然と触れることができていた。でも最近のSFは専門家が入ってきて、非常に高度なものになっているように思えます。

(萩尾先生がお答えになります)
最近のSFのテーマは戦争とコミュニケーションのことが多くて、敵をやっつけて終わりというものではなく、話の通じない相手とどのようにコミュニケーションをとるか、ということをテーマにしています。ハイラインの初期の作品などにはコンタクト系も多いのですが、かつて手塚治虫先生が敵の方の背景をていねいに描いたことが大事だったのだなとわかります。

(ここで終わりだったと思います。)

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