作品目録

王妃マルゴ

 

初出誌
「YOU」2012年9月号~
第1章:2012年9月号(2012.9.15) p3~49(46p)
第2章:2012年10月号(2012.9.15) p29~73(45p)
第3章:2012年11月号(2012.10.15) p190~235(45p)
第4章:2012年12月号(2012.11.15) p329~373(45p)
第5章:2013年8月号(2013.7.15) p13~53(40p)
第6章:2013年9月号(2013.8.15) p59~93(35p)
第7章:2013年10月号(2013.9.15) p313~347(35p)
第8章:2013年11月号(2013.10.15) p135~169(35p)
第9章:2013年12月号(2013.11.15) p225~259(35p)
第10章:2014年8月号(2014.7.15) p3~43(40p)
第11章:2014年9月号(2014.8.15) p165~199(35p)
第12章:2014年10月号(2014.9.15) p145~179(35p)
第13章:2014年11月号(2014.10.15) p145~179(35p)
第14章:2014年12月号(2014.11.15) p49~83(35p)
ヴァロア王朝の宗教戦争:2015年2月号(2015.1.15) p98~99(2p)
第15章:2015年8月号(2015.7.15) p3~43(40p)
第16章:2015年9月号(2015.8.15) p49~83(35p)
第17章:2015年10月号(2015.9.15) p257~291(35p)
第18章:2015年11月号(2015.10.15) p343~377(35p)
第19章:2015年12月号(2015.11.15) p179~213(35p)
第20章:2016年8月号(2016.7.15) p3~43(40p)
第21章:2016年9月号(2016.8.15) p49~83(35p)
第22章:2016年10月号(2016.9.15) p327~361(35p)
第23章:2016年11月号(2016.10.15) p251~285(35p)
第24章:2016年12月号(2016.11.15) p285~319(35p)
第25章:2017年9月号(2017.8.15) p3~43(40p)
第26章:2017年10月号(2017.9.15) p85~119(35p)
登場人物
----マルゴの家族----
マルゴ:マルグリット・ド・ヴァロワ。アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの三女。1553年~1615年。
アンリ2世:マルゴの父。フランス王。1519年~1559年。
カトリーヌ・ド・メディシス:マルゴの母。メディチ家出身。1519年~1589年。10人の子供がいて、うち7名が成人。
フランソワ2世:マルゴの兄。アンリ2世の長男。1544年~1560年。後のフランソワ2世。1558年にメアリ・スチュアートと結婚。耳鼻咽喉科系の持病をもつ。
エリザベト:エリザベート・ド・ヴァロワ。マルゴの姉。アンリ2世の長女。1545年~1568年。1559年にスペイン王フェリペ2世と結婚。
クロード:クロード・ド・ヴァロワ。マルゴの姉。アンリ2世の次女。1547年~1575年。ロレーヌ公シャルル3世と結婚。
シャルル :マルゴの兄。アンリ2世の三男。1550年~1574年。後のシャルル9世。
アンリ:マルゴの兄。アンリ2世の四男。1551年~1589年。後のアンリ3世。
プチ・エルキュール:マルゴの弟。アンリ2世の五男。1555年~1584年。後のアンジュー公フランソワ。
----カソリック派----
メアリ:フランソワ2世の妻。メアリ・スチュアート。スコットランド王ジェームズ5世とフランス貴族ギーズ公家出身の王妃メアリー・オブ・ギーズの娘。スコットランド女王。1542年~587年。
ギーズ公フランソワ:フランスの貴族・軍人。渾名はバラフレ(傷跡のある)。1519年~1563年。
ギーズ公アンリ1世:ユグノー戦争期のカトリック派のリーダー。1550年~1588年。
アンナ・デステ:ギーズ公フランソワの妃。1531年~1607年。
ヌヴェール公フランソワ1世:アンリ2世の時代に重用された貴族。コンデ公ルイ1世の姉マルグリット・ド・ブルボンと結婚したが、1559年に死別した。1516年~1561年。
アンリエット・ド・ヌヴェール:マルゴの世話係。ヌヴェール公フランソワ1世の娘。1542年~1601年。アンリエット・ド・クレーヴとも呼ばれる。2人の妹、カトリーヌとマリーはそれぞれギーズ公アンリ1世、コンデ公アンリ1世の妻となる。
オマール公クロード2世:ギーズ公フランソワの弟。1526年~1573年。ギーズ公アンリ1世の伯父にあたる。
ジャック・ド・サヴォワ(ヌムール公):ギーズ公フランソワの未亡人アンナ・デステと結婚する。1531年~1585年。
カトリーヌ・ド・クレーヴ(カトリーヌ・ド・ヌヴェール):ヌヴェール公フランソワ1世の娘。1548年~1633年。1560年にポルシエン公アントワーヌと結婚するが1567年に死別。1570年にギーズ公アンリ1世と再婚した。
アンヌ・ド・モンモランシー:軍人。長い間国王軍の指揮を取っていたが、サン=ドニの戦いで死去。1492年~1567年。
----プロテスタント派----
コンデ公ルイ1世:ユグノー戦争時のユグノー派の一員。1530年~1569年。
エレオノール・ド・ロワイエ:コンデ公ルイ1世の妻。
ジャンヌ・ダルブレ:ナバラ王国の女王。後のアンリ4世の母親。1528年~1572年。
ヴァンドーム公アントワーヌ:ナバラ王でジャンヌ・ダルブレの夫。ブルボン家の当主でアンリ4世の父親。コンデ公の兄。1518年~1562年。
ナバラ王子アンリ:後のアンリ4世。ブルボン朝初代のフランス国王。1553年~1610年。
コンデ公アンリ1世:1552年~1588年。
マリー・ド・クレーヴ:アンリエット・ド・ヌヴェールの妹。ナバラ女王ジャンヌ・ダルブレのもとで養育される。後にコンデ公アンリ1世の妻となる。1553年~1574年。青年期のアンリ3世が思いを寄せていた。
---その他---
ディアーヌ・ド・ポワチエ:アンリ2世の愛人。1499年~1566年。
マルグリット叔母:マルグリット・ド・フランス。1523年~1574年。アンリ2世の妹。サヴォア公国エマヌエーレ・フィリベルトに嫁ぐ。
ピエール・ド・ロンサーヌ:ルネサンス期の詩人。1524年~1585年。
ロレーヌ公シャルル3世:マルゴの姉・クロードが嫁いだ相手。1543年~1608年。
クリスティーヌ・ド・ダヌマルク:ロレーヌ公フランソワ1世の妃。デンマーク王クリスチャン2世とイサベル・デ・アウストリアの娘。息子・ロレーヌ公シャルル3世の摂政をつとめていた。 1521年~1590年。
ノストラダムス:医師、占星術師。1503年~1566年。

あらすじ
1559年、マルゴが6歳のときから物語は始まる。この年はヴァロア一族にとっては様々な出来事が起きた年である。フランス王アンリ2世は前年に長男であるフランソワをメアリ・スチュアートと結婚させ、この年、長女のエリザベトをスペイン王フェリペ2世の元に嫁がせ、妹のマルグリットをサヴォア公に嫁がせ、両国との和平を実現する。そしてエリザベトとフェリペ2世の婚儀の席上で行われた馬上試合でアンリ2世は死亡する。愛人ディアーヌは正妻のカトリーヌにより追放される。
フランソワ2世が即位し、妻のメアリ・スチュアートが王妃となる。メアリの外戚であるカトリックのリーダー、ギーズ一族が実質的に宮廷を支配する。メアリの母親がフランスに来た際に、メアリがスコットランドの女王であると同時にイングランドの女王であることを宣言し、プロテスタントのエリザベス女王をヘンリー八世の庶子である(教皇庁がアン・ブーリンとの結婚を認めなかった)として、無視する態度をとる。国内でプロテスタントへの弾圧が厳しさを増し、対立が深まる。
1560年3月、「アンボワーズの陰謀」と呼ばれる事件が起きる。プロテスタントのプロテスタント貴族ラ・ルノーディを中心とする不平貴族たちがギーズ公フランソワを襲い、国王フランソワ2世を拉致して、ギーズ公と距離をおかせようとするものだった。ヌーヴェル公はいち早くそれを察知し、王族を守る。カトリーヌ・ド・メディシスが裏で糸を引いていたともコンデ公ルイ1世が黒幕とも言われるが、結果、大量のカトリック信者が処刑されることになる凄惨な事件となった。
アンボワーズからパリに戻ったカトリーヌたちだが、メアリ・スチュアートの母親が死去。悲嘆にくれるメアリをギーズ公らが「イングランド、スコットランド、フランスの国王を生むことができるのはあなただけ」とたきつける。
ナダルの女王ジャンヌ・ダルブレが息子のアンリを伴い、パリの宮廷にやってきた。ジャンヌ・ダルブレはカトリーヌ・ド・メディシスの従姉妹にあたる。アンリ王子はやんちゃな田舎者で、マルゴは嫌悪感を抱くが、一方で不思議な魅力も感じていた。
その年の暮れ、フランソワ2世が中耳炎をこじらせ、医師は開頭手術を提言したが母であるカトリーヌはこれを拒否。そのため脳炎を引き起こして16歳で逝去。次の国王は三男のシャルルだったが、まだ10歳と幼い。ナバラ王アントワーヌ公はヴァロア家に次ぐブルボン家の王位継承者でこの時42歳。シャルルより国王にふさわしいと宮廷では噂されていた。
フランソワ2世の亡くなる少し前、コンデ公はに南部で武装蜂起をしてカトリック信者を殺害。捉えられ、国王に対するクーデターであるとして死刑を宣告されていた。コンデ公の兄・アントワーヌ対し、カトリーヌは自分が摂政となる替わりにに弟の釈放をもちかけ、交渉は成立する。
1561年2月、ヌヴェール公フランソワ1世が逝去。亡くなる直前に前妻のマルグリットのためにプロテスタントに改宗した。
メアリ・スチュアートはフランソワ2世との間に子供ができなかったため、メアリの後ろ盾であるギーズ公フランソワらはシャルル9世と結婚させようとするが、カトリーヌに拒絶される。
王妃でありながら長年宮廷の中心でいられなかったカトリーヌ・ド・メディシスは摂政としてようやく宮廷を仕切ることができるようになった。一方、メアリ・スチュアートは、6歳で海を渡りフランスへやってきて18歳でフランス王妃となったが、宮廷での立場を失ったため8月にスコットランドへ戻っていった。
シャルルの弟で四男のアンリ王太子が寄宿学校に行くこととなった。週末に帰宮する際、学校で一緒だったナバラ王子アンリを連れて来る。母と離れてホームシックのアンリをマルゴは慰める。
カトリーヌはプロテスタントとカソリックの融合に努めていたが、1562年3月1日「ヴァシーの虐殺」で知られる事件が起き、ギーズ公フランソワと兵士たちがヴァシー村で礼拝を行っていたユグノーを襲撃して74人を殺害した。これがこの後30年間、フランスを断続的に内戦状態に陥らせる「ユグノー戦争」の発端となる。
怒ったコンデ公らプロテスタント軍とギーズ公フランソワ及びナバラ王アントワーヌらの国王軍は戦闘に突入する。ユグノーの拠点ルーアンをめぐる包囲戦ではアントワーヌ公が狙撃され、死亡する。父を亡くしたナバラ王子アンリにマルゴは同情の気持ちを寄せる。
戦争を望まないカトリーヌは、好戦的なギーズ公に手を焼いていた。1563年2月、オルレアン包囲中に密偵ポルトロ・ド・メロがギーズ公を背後から銃撃して殺害。これをきっかけに和解勅令が出され、一時的に戦争は落ち着いた。
1563年8月、シャルル9世の成人が宣言され、王母は摂政の役割を終えたとされたが、カトリーヌは王室への忠誠を回復させるため、1564年3月から1565年5月にかけ、新王や廷臣たちとともに内戦で荒廃したフランス各地をめぐった。その中にはマコンの街もあり、そこでプロテスタントのジャンヌ・ダルブレと会った。リヨンでサヴォア公国のマルグリット叔母やサロンでノストラダムスに会った。
ノストラダムスはカトリーヌにシャルル9世の在位が14年、その弟アンリの在位が15年という預言を行い、常任侍医兼顧問に任命される。マルゴはノストラダムスに「恋人、結婚相手、敵の名前がすべてアンリである」と預言される。
カトリーヌ・ド・メディシス一行のフランス行脚は雪のピレネー山脈の麓、カルカソンヌの城、トゥールーズへと続く。スペイン国境近くのバイヨンヌで娘エリザベート(マルゴの姉)に再会。ネラックでナヴァルの女王ジャンヌ・ダルブレと会見。次にネラックへ移動。
1565年1月、マルゴはついにコーランでアンリ・ド・ギーズとの3年ぶりの再会を果たす。ギーズへの想いはふくらむばかり。1563年に暗殺されたギーズ公フランソワの犯人と目されたコリニー提督の裁判が予定通り3年後に開かれ、コリニーは無罪を勝ち取る。父を暗殺されたギーズ公アンリはコリニーとの和解を拒否する。
ギーズ公アンリの苦しみを察したマルゴはカトリーヌ母后に対してアンリをかばい、カトリーヌから罰を受ける。その行動を不審に思ったギーズ公アンリはマルゴを待ち伏せ、真意を問う。すると、これを好機と思ったマルゴはギーズへ愛の告白をする。アンリ・ド・ギーズは驚くが胸にとどめておくと応える。コリニーを父の仇と思い込み、復讐を堅く誓っているアンリ・ド・ギーズにとっては、すべてがその目的に役立つかどうか。そこでマルゴに猫の贈り物をする。
3月4日、マルゴの世話係だったアンリエット・ド・ヌヴェールがイタリアのマントヴァ公爵家の公子ルドヴィーコ(ルイ)とムーランで結婚をする。その結婚式の席で、アンリ・ド・ギーズはポルシエン公アントワーヌにケンカをふっかけるがコリニー公に止められる。ギーズはコリニー公への恨みをつのらせていく中で、マルゴを利用しようと考える。
1566年5月、3年の長い巡幸を終えて、宮廷はパリに戻って来た。この年、アンリ2世の愛妾だったディアーヌやノストラダムスが死去する。アンリ・ド・ギーズはマルゴと逢瀬を重ねる。
アンヌ・ド・モンモランシーが務めていたフランス軍国王総代理官を望んだコンデ公を避け、アンジュー公(アンリ)を任官したことで、プロテスタントのコンデ公は宮廷への不信感を募らせる。1567年、ナヴァル王子アンリを宮廷に人質に取られていたジャンヌ・ダルブレは隙を見て王子を連れて、プロテスタントの多いベルン地方に帰ってしまった。
スコットランド女王メアリ・スチュアートの再婚相手ダーンリー卿が殺害され、メアリはポスウェル伯と再々婚。反ボスウェル派の貴族たちが軍を組織して反乱を起こし、メアリを廃位した。
9月、モーという街のモンソー城でマルゴの社交界デビューが決まるが、ここを狙ったコンデ侯を中心としたプロテスタント軍はシャルル9世を誘拐して自陣営に取り込もうと謀る。不意を襲われた宮廷はスイスから駆けつけた槍軍の援護をもってパリへと逃げ、プロテスタントの試みは失敗に終わる。これが「モーの奇襲」と呼ばれ、内戦再開の引き金となる。国王はプロテスタントの礼拝を禁止し、これに反発したプロテスタントとの間で乱闘が多発。11月のサン・ドニの戦いでは国王軍を長年率いていたアンヌ・ド・モンモランシーが戦死。国王軍は戦費の欠如によりプロテスタントの和議に応じ、内戦は1568年3月22日のロンジュモーの和議で終結し、プロテスタントには信仰の自由と権利が与えられた。
そんな戦乱の中、15歳になったマルゴは美しい少女に成長した。ギーズ侯アンリとの秘めた恋を続けながら、兄の国王シャルルの寵愛を受けていたが…。

コメント
萩尾先生の初の歴史もの。コスチューム・プレイを描きたいとおっしゃっていて、ようやく実現されたものです。スタート地点を事件の多い時期に合わせたこと、登場人物が複雑に絡み合ってることを考えると、短いページ数の中にわかりやすく盛り込む神業をもつ萩尾先生には、実は歴史ものは合っていたのではないかと思わせるすごさです。
負傷したナバラ王アントワーヌのかけつけようとするカトリーヌ・ド・メディシスを周囲の者が危険であると止めたときの名言「私の勇気はあなたのものより大きいのです」は史実に基づいているそうです。
ノストラダムスがナヴァル王に「いずれフランス王になる」と預言したという説はあるが、マルゴに預言したという話は見あたりませんでした。
アンリエットの妹のカトラ(ポルシエン公夫人)とギーズがまた絡んでいます。カトラの夫が死にますが、いまわの際に「アンリ・ド・ギーズとだけは再婚しないでくれ」と言ったというのはフィクションでしょうね。この二人が後に結婚することになります。
1567年のモーの奇襲の後、フランスは再びプロテスタントとカソリックの内乱に突入します。第2次ユグノー戦争の勃発です。翌年の和議でいったん終結しますが、流血の時代は加速度を増します。第三部は第3時ユグノー戦争の開始からサン・ジェルマン和議までか、あるいはサン・バルテミの虐殺までは行くのか。いずれにせよ、来年の再開となるようです。
第1回がこちらで全て読めます

2013.11.18

収録書籍
王妃マルゴ1

王妃マルゴ 第1巻 集英社 2013.1.25

王妃マルゴ2

王妃マルゴ 第2巻 集英社 2013.12.30

王妃マルゴ3

王妃マルゴ 第3巻 集英社 2015.1.28

王妃マルゴ4

王妃マルゴ 第4巻 集英社 2016.1.30

王妃マルゴ5

王妃マルゴ 第5巻 集英社 2017.1.30

入手しやすい本作品収録の単行本 王妃マルゴ

王妃マルゴ 第5巻 集英社 2017.1.30

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