単行本

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マンガのあなた SFのわたし―萩尾望都対談集 1970年代編

マンガのあなた SFのわたし

著者萩尾望都
出版社河出書房新社
刊行年月2012.2.28
頁数255p
定価1,470円
ISBN978-4-309-27307-5

目次

第1章手塚治虫「SFマンガについて語ろう」『別冊新評』1977年41号p7~44
第2章水野英子「私たちって変わり者かしら」『月刊mimi』1976年8月号p45~60
第3章 石ノ森章太郎「SFの話は延々尽きない」『月刊マンガ少年』1977年7月号p61~82
第4章美内すずえ「親愛なるモー様へ」『ガラスの仮面フェスティバル』1978年10月15日発行p83~100
第5章寺山修司「月で修学旅行の案内係」『モンブラン』1977年11月号p101~122
第6章小松左京「絵の理想型とは?」『クエスト』1977年創刊号p123~150
第7章手塚治虫+松本零士「マンガ、SF、アニメーション」『月刊リリカ 増刊号』1978年1月1日発行p151~190
第8章羽海野チカ「全部、萩尾作品から学びました」語りおろしp191~252
1970年代の対談を集めた本です。先輩及び同期くらいの漫画家との対談プラス、作家お二人との対談となります。最後に新たに羽海野チカさんとの対談を入れて、萩尾先生が影響を受けた方との対談から萩尾先生が影響を与えた方との対談という流れがきれいです。
手塚治虫
この対談は手塚治虫の全集、対談集に収録されていましたので、比較的手にとりやすい対談です。それらの書籍に入れる際に「女性SF作家はなぜ少ない」というタイトルに変更されていたのを、あえてもとの『別冊新評』に掲載当時の「SFマンガについて語ろう」に戻されています。漫画家としての大先輩ですが、この対談以前に何度かお会いしたことがあるようで、比較的落ち着かれています。
手塚治虫はジェンダーと作家性について一生懸命語られているのに萩尾先生がなにげなくスルーされているのを見て、内心では「オンナオンナうるさいな」と思われていたのかと想像するとおかしいです(そんなことないか…)。
水野英子
これは初見でした。この対談集の中でも一番早い時期に行われた対談です。当時の月刊『mimi』は純粋なコミック誌ではなく、アイドル誌、ファッション誌を兼ねていました。ですからマンガと同じくらい文章のページがありました。その中にこの対談は入っていました。
水野英子さんは少女マンガ家としての先輩にあたり、対談当時は37歳です。「つまらないと言われていた少女マンガ」が少年マンガに対してどういう利点をもっているのか、というところを追求してこられた自負をしっかりお持ちで、さすがだなと思います。少女マンガを変えたのは確かに萩尾先生たちの世代ですが、そこにはベースとなる「少女マンガ」を作られた方々がいらしたからこそ。萩尾先生もときおり聞かれる「誰に影響を受けましたか?」という質問に手塚治虫の名前だけでなく先行の少女マンガ家の名前を挙げられています。
水野英子さんは本書刊行時には73歳。でも現役で、かつtwitterをやっておられるという若さ。素晴らしいですね。
石ノ森章太郎
こちらも既読でしたが、石ノ森章太郎先生は対談集は出てないので、書籍にはなっていないかもしれません。手塚先生の直後だったのでまだ連載開始直前「百億千億」の話題が出ていました。掲載前から話題になっていたということは、やはりそれだけ注目を浴びていたのですね。「サイボーグ009」はさまざまな雑誌で連載されていたのですが、ちょうどこの「月刊マンガ少年」7月号で「海底ピラミッド編」が開始されたので、そのPR用の対談だったかと思われます。きっかけになった記事の話もされていますし。
美内すずえ
こちらは初見でした。美内すずえさんはデビューは2年ほど萩尾先生より早かったものの、2歳年下でした。ほぼ同年代と言ってよいでしょう。これまでの対談よりずっとリラックスされているご様子が伺われます。
寺山修司
この「モンブラン」という雑誌は寺山修司が自分で出していたようで書店に流通させておらず、おそらくかなり少部数だったのでしょう。古書市場にはなかなか出てきません。1977年9月頃のニュースレターに痕跡が残っていました。寺山修司は対談集がバラバラと出ているので、どこかに紛れ込んでいるのかどうか、追って調べたいと思います。
キリスト教の話や吸血鬼の話は、実際にはもっと盛り上がっていてもおかしくないような、そんな気がします。寺山修司とは新書館「For Ladies あなたのファンタジー」でともに選評を行ってきたので、結構気心しれているような、いないような感じです。ほとんど寺山修司がインタビュアーになっているような対談でした。
小松左京
これは既読です。「クエスト」は小学館が1977年7月に創刊した「新しい世代のためのカルチャーマガジン」だそうで、1978年7月には休刊しているようです。新しい文学、芸術を追った意欲的な雑誌だったのでしょう。この創刊号に載っていました。生活感がないと言われながら、ちゃんと生活感のある「小夜の縫うゆかた」を褒められています。小松左京「夜があけたら」の表紙が萩尾先生らしくない、葉っぱだけなのですが、ちゃんと理由があったんです。
手塚治虫+松本零士
こちらも既読です。松本零士は今でいうところの非リア充だったわけですが、牧美也子さんという漫画家としても著名で(お若い頃のお写真を拝見すると)本当にきれいな方と結婚できた。運が良いのか、才能なのか。奥様のことを手塚治虫から突っ込まれていてほほえましいです。
また、松本零士の手塚治虫リスペクトがやはりすごくて、萩尾先生が口が出せないほどですね。
羽海野チカ
羽海野チカさんがすごくきちんと準備をされていて、対談を実り豊かなものにしていることに感心しました。ご自身が萩尾先生のどこが好きなのか、どこに影響を受けられているのかを、自作を引き出してきちんと説明されていて、立派です。なかなか出来ることではないように思えます。私は相当量萩尾先生の対談を読んでいますが、後の世代の方でこれだけしっかりした方は初めて読んだ気がします。これは相当プロ意識の高い、聡明な方なんだろうなと思います(会社員経験って大事かも)。だからこそ素直な素晴らしい作品が描けるのでしょう。人選が良かったなと思いました。司会も良かったのでしょう。
連載が終わって一番淋しかったのは「メッシュ」だと言われて、ハっとしました。私はあのラストを自分のものに出来るまで何年もかかりましたので、やはり渾身のラストシーンだったのだなと思いました。
関係者のみなさまお疲れ様でした。80年代編、90年代編と続いてくれることを祈っています。

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