2017年11月

萩尾望都先生のアメリカ講演の旅レポート(その2)

オレゴン大学構内2017年11月6日、萩尾望都先生はオレゴン大学での講演会に登壇されました。女子美術大学の内山先生とご一緒です。

ワシントン大学と同様、国際コミック・アーツ・フォーラム(ICAF)が主催で、オレゴン大学の「コミック&カートゥーン・スタディーズ・コース」という専攻科との合同事業です。他にもいろいろな科や団体が入ってますね(An Evening with Moto Hagio (Univercity of Oregon)

机の上萩尾先生が渡米されてから一番の晴天。秋の澄み渡る空気の中、16:00から講演は始まりました。机の上には引き続き複製原画が多くおかれています。「ポーの一族」のブランカのシーンの下書きが見えます。

まずは萩尾先生のプロフィール、次にデビュー作「ルルとミミ」を紹介します。

萩尾先生「私が福岡に住んでいた子どもの頃から日本にはマンガがあり、夢中になって読んでいました。とりわけ手塚治虫が大好きで、15歳の時に「新選組」を読み、ドラマチックなストーリーで感動してショックを受けました。一週間頭から離れませんでした。そのショックを誰かに返したくてマンガ家を目指しました。」

●「ルルとミミ」
ルルとミミ萩尾先生「日本でマンガ家になる一つの方法として出版社に投稿する方法があります。大きな出版社が東京にあり、作品を描いて送り、20歳の時に上京しました。いい作品なら載せると言われ、何を描くか決めて二週間で描きました。最後の一週間はほとんど寝ないで描きました。」

●「11人いる!」
予告カラーを見せました。セロテープ跡やメモが書かれているままのものです。

萩尾先生「この話を思いついたのは、中学生の時に読んだ宮沢賢治の「座敷ぼっこ」という童話を読んだときです。東北地方では古くから「座敷童子」の話が伝えられていて、これに基づいて作られた童話です。

北の方の大きな家には家を守る「座敷ぼっこ」というフェアリーが住んでいて普通は人間に見えません。子供が10人で遊んでいると、気付くと1人増えていました。みんな知っている子なのに誰が増えたかわかりません。驚いてみんな逃げてしまいます。その1人増えたのが11人目の座敷童子です。このお話がおもしろかったので、いつか描きたいと思っていました。

18歳の頃に「11人いる!」のストーリーを思いついたのですが、11人の顔が思いつかずそのままになっていました。キャラクターを11人考えるのは大変でした。発表した頃には11人を描けるようになっていました。」

内山先生「マンガで二色は珍しいのでは?」

萩尾先生「三色より二色の方が安かったから編集部が二色にしたのだと思います。二色の場合は黒と赤、黒と紺などの組み合わせになります。二色は基本何色を選んでもよいのです。この作品で赤と黒を選んだのはコントラストがきれいだからです。」

ここで「11人いる!」のストーリーを話しました。タダ、王様、ヌー、フロルを選んで、それぞれのキャラクターを説明しました。

●「イグアナの娘」
イグアナの娘萩尾先生「自分をイグアナだと思った女の子のお話です。なぜこの作品を描こうと思ったか、という話をします。
両親は私がマンガ家になることに大反対しました。マンガ家になって食べていけるようになっても「やめなさい」と言われ続けました。何年も何年も説明しましたがわかってもらえませんでした。
こんなに話が通じないのは私が人間ではないのではないか。牛かもしれない、イグアナかもしれない。これは良いアイデアではないかと思い、この話ができました。」

「イグアナの娘」の絵を見せながら説明します。

内山先生「萩尾先生のお母様にお会いしたことがありますが、厳しい方でした。成功しても認めてもらえなかった苦しみがクリエイティブの原動力になっているのではないですか?」

萩尾先生「両親を見ていて、理屈がどんなに正しくても通じない、不条理がある。それがマンガを描く原動力になっています。」

内山先生「この話には続きがありますよね?」

萩尾先生「はい。両親はマンガを描くことを反対し続けていたのですが、ある時母から電話がありました。「お母さんが「ゲゲゲの女房」を見とったら、水木先生がマンガを描いとったたい。あんたもマンガを描いて仕事しとったたいね。どうも失礼しました。」

ここで「ゲゲゲの女房」の説明を通訳の方が英語でしました。

萩尾先生「母からの電話にビックリしましたけれど、それから母は娘のマンガに反対したことはないと言うようになりました。2年前に母は亡くなりましたが、最後に仕事を理解してくれてよかったです。」

●「ポーの一族」
flowers 2016年7月号内山先生「40年ぶりに「ポーの一族」の新作が発表されて、掲載された『フラワーズ』という雑誌がいつもの2.5倍発売されましたが、即日完売。私も買えませんでした。電子版も1万を超えるダウンロード数で、テレビのニュースにもなりました。」

「ポーの一族」の系図が画面に映し出されます。大きく三つのグループにわけられます。
「ポーの一族」1870~
「メリーベルと銀のばら」1760~
「小鳥の巣」1960~

萩尾先生「19~20歳の頃、デザイン学校でファッションの勉強をしていました。いろいろなドレスの変遷を勉強して、おもしろかったです。昔、流行したロングドレスやマントは、今は着る機会がありませんが私は好きです。

夕焼けの逆光の中、マントを翻して立つ少年が浮かびました。とてもきれいなイメージでした。
この少年が吸血鬼で何百年も生きたらいろいろな衣装が描けると思いました。
それが「ポー」を描いたきっかけです。
主人公エドガーのキャラクターを決め、「ポーの一族」の人々も決めました。旅をする友達をアランにしたのはエドガー・アラン・ポーという作家が好きだったからです。」

主なキャラクター3人の特徴の話になります。

萩尾先生「エドガーは子供のまま吸血鬼になった少年で、周囲にその気持ちを理解してもらえない。唯一の理解者がメリーベルです。メリーベルが死んだ後、エドガーはアランを仲間にします。
エドガーはワンマンな指導者です。テキパキと物事を決めます。
アランはわがままな少年で、エドガーを困らせています。でもエドガーに自分が存在していることを感じさせてくれる、良いパートナーです。」


oregon02.jpgoregon03.jpg
ここで実践です。実際に聴衆の前で絵を描いて、モニターに映し出します。画力対決のようなスタイルです。女子美の講義でもやったことがあります。
エドガーを鉛筆で描かれる萩尾先生。描き終わると一斉に拍手が起きました。

萩尾先生「キャラクターを描くときは、顔のバランスが難しいです。頬の位置、目の位置がズレやすいので、今描きながらハラハラしました。」


oregon04.pngエドガーが登場するシーン
「ポーの一族」について、エドガー登場シーンの画面を見ながら説明します。
萩尾先生「薔薇が吸血鬼の存在を象徴しています。最初はぼんやりとした薔薇です。フォーカスが合い、薔薇がはっきりしていき、全体がクリアになっていきます。」

oregon05.pngエドガーとアランが出会うシーン
萩尾先生「このエドガーとアランが出会う重要なシーンにはほとんどセリフがありません。馬に乗っているのがアラン。驚いているのがエドガーです。アランの目線からのコマですが、一回転して地面に落ちています。」

内山先生「萩尾先生のマンガは心を理解できる描き方になっていますね。」

ポーツネル男爵ご一家ポーツネル一家が登場するシーン
萩尾先生「1870年代のスカートがスリムになった感じが好きです。これは一家がご飯を食べに行くシーンです。ほんとは食べに行かなくてもいいのですが。」


oregon07.png「メリーベルと銀のばら」はエドガーが何故吸血鬼になったのか、というお話です。

萩尾先生「村人が吸血鬼にクイを打つシーンでは上から見た図を描いてます。頭の中のイメージ、ショックと恐怖でいっぱいのを表すため、集中線が四方八方に広がっています。背景を暗くしたのは恐怖を表すためです。気持ちを表すシーンを描くために努力をしてます。」

キングポーエドガーを吸血鬼にする場面
萩尾先生「エドガーがバンパイヤ(この講演では意図的にバンパイヤという言葉を使いました)になるシーンですが、一番年上のバンパイヤである長老(キング・ポー)が、エドガーが大人になるまで待てなくなったので、エドガーを吸血鬼にします。

日本のマンガ右ページを開くのでクルリと回る構図です。目眩が起こるので面白い効果が現れます。エドガー意識が薄れる中で自分が変わっていくのを感じています。」

内山先生「構図として、キャラクターの心理情報を画面にうまく入れるのが萩尾先生が天才と言われる由縁でしょう。」

ここで時間が押したため。さまざまなマンガ絵を見せます。雑誌と単行本加筆の比較もワシントン大学と同じように見せました。

●質疑応答

質問「先生がマンガを描くのは、どこから始まりますか?」

回答「ストーリーから脚本をつくっていきます。絵を落書きをしているうちにアイデアが浮かんできます。

まず、絵のイメージが浮かびます。好きな絵が何度も浮かぶと、これは使えるなと思います。
「ポーの一族」のエドガーやアランのことを考えていた時は3日くらいでストーリーが出来ました。
または、一つのことばかりが気になり、ストーリーがうまく出来ないこともあります。
でも、いつか使えると思って暖めていると、ふとストーリーが浮かんでくることもあります。

原稿を編集部に見せる時は完成した原稿を送ります。途中の打ち合わせはしません。」

質問「これまで何年も素晴らしい作品で人々に影響を与えてこられましたが、一番最初に意味があるものを作ったと感じた作品は何ですか??または一番はじめに気に入ったのはどの作品ですか?」

回答「「ビアンカ」です。私の作品には出来のいいものと悪いものがあります。「ポーの一族」は最初は出来が悪いと思っていました。いつも描いた後はこれでいいのか?と考えています。」

質問「「トーマの心臓」と「ポーの一族」は文学の影響が見えましたが、ありますか?」

回答「私は文学や映画や絵画を愛しています。文学ではヘルマン・ヘッセが大好きでいつかドイツを舞台にしたいと思っていました。それで「トーマの心臓」を描きました。キャラクターの名前はヘッセから随分もらいました。」


質問「日本のマンガ家は一人で作品を作っているイメージでしたが、「漫勉」を見て作家が一緒に作っていることを知りました。萩尾先生はいかがですか?」

回答「たくさんのアシスタントを使っています。アシスタントが入る時は泊まりで仕事をします。30ページを描く場合は絵を描くのに15日かかります。アシスタントは机が3つあるので2~3人がいつもいます。ローテーションで2~3日で人がかわります。
なぜかというと、アシスタントが疲れるからです。」

ちょうど「スターレッド」の画像が映し出されていたので、アシスタントがどの仕事をしたか説明しました。

オレゴン大学構内以上です。萩尾先生、内山先生、スタッフの皆様、お疲れ様でした。
詳細なレポートありがとうございました。

2017.11.10 0:04 | イベント

萩尾望都先生のアメリカ講演の旅レポート(その1)

2017年11月、萩尾望都先生はアメリカのワシントン州とオレゴン州へ講演の旅に行かれました。萩尾先生に帯同されているスタッフの方から講演のレポートと写真を送っていただいたので、お許しをいただき、私の方で現地の皆さんのツイートの翻訳を追加したりしてアップします。



ヘンリー・アートギャラリーヘンリー・アートギャラリー2
11月2日、ICAF(International Comic Arts Forum)のイベントに参加され、ワシントン大学シアトル校で講演をされました。女子美術大学の内山博子先生とともに登壇されています。日本語での講演です。その場で通訳されているようです。

ワシントン大学での講演1会場は大学内のヘンリー・アートギャラリーというところで、お客さんはいっぱいだったようです。

まずはプロフィール紹介から始まりメインの作品の紹介、いままでの作品の数及び出版物について。刊行物合計で2,000万部、作品数は208点、描いたのは18,527ページと発表。すごい。数えるのも大変だったでしょうね。

マンガ家になったきっかけとして手塚治虫の「新選組」を読みショックを受けたこと。そのショックを誰かに返したくてマンガ家になる決心をしたこと。そして、デビュー作「ルルとミミ」が紹介されます。

次に「ポーの一族」のお話。昨年新作が発表され、その新作が掲載された雑誌を増刷したにもかかわらず売り切れてしまい、急遽デジタル版を追加したのですが、それも1万ダウンロードあったことなどのお話が出ました。

ワシントン大学での講演その2「ポーの一族」の系図が表示されて、会場が少しざわめきます。この系図はファンの方がつくったものです。左の写真を大きくするとうっすらと見えます。
萩尾先生「「ポーの一族」を描こうと思ったのはデザインの学校に通っていて服装の勉強をしていたので、いろいろな時代の服を描きたかったからです。まず頭に浮かんだのが長いマントをひるがえして立つ少年の姿で、さまざまな衣装を考え始めたら3日くらいでお話が出来上がりました。自分でも早いと思いました。

まず、エドガー・ポーツネルのキャラクターをつくりました。次にエドガーのパートナーを考えたのですが、エドガー・アラン・ポーの名前からアランと名付けたキャラクターができました。アランが登場するシーンで馬に乗っているのは、この人たちは貴族だから馬くらい乗っているだろうと思ってのことです。

エドガーとアランのキャラクターをつくった後で彼らの家族関係はどうしようかと考えていると、エドガーが現れてこんな家族がいると話してくれたり、メリーベルが登場したりしました。

「ポーの一族」の衣装は「風と共に去りぬ」に触発されてつくったものもあります。「風と共に去りぬ」ではスタイルがどんどん変わっていきますが、1870年代の服が好きだったので、この時代の衣装にしました。「ポーの一族」は1800年代を中心にして、その100年前と100年後のお話です。

「メリーベルと銀のばら」でエドガーがバンパネラにされる場面で気をつけたことは、黒い画面のシーンを多くしたことです。読者を引きつける方法をいつも考えています。最初にイメージが浮かび、そのイメージから頭の中で浮かんだことを表現できるように描いています。

ワシントン大学での講演会のフライヤー「メリーベルと銀のばら」は最初は50ページ×3回=150ページでお話を考えていたのですが、雑誌掲載の都合上、1回につき31ページ、合計93ページにさせられました。お話は何とか詰め込めても、それでは細かな人間の感情は表現できませんでした。ですから、単行本になる時に大幅に加筆しました。雑誌に描いた時に入らなかったネームを保存していたのでできました(ここで、雑誌掲載時と単行本用に加筆した原稿の比較をわかりやすく紹介)。

「小鳥の巣」はヘルマン・ヘッセが好きでドイツに憧れていたから描いたものです。
4色カラーより2色カラーで考える方が楽でした。色を選ぶのは難しいです。」

内山先生「「トーマの心臓」の画面構成において、心情を描くときのコマの切り方が素晴らしいです。横割りの場面が大事なところで使われています。制作上のテクニックがあるので読んでほしいです。」

次に「イグアナの娘」の話になります。萩尾先生は「自分と両親の関係はよくなかったのです。両親は厳しく、勉強が出来る良い子に育てたかったのですが、私はマンガを描きたかった。マンガを描いてる時だけが自由になれました。」

内山先生「マンガに飽きませんか?」
萩尾先生「飽きたりはしませんが、4年に1回くらいアイデアが出なかったりして、もうダメかと思います。悩みながら描いています。苦しんだあと、戻ってきて描いていると幸福な気持ちになります。」
内山先生「ストーリーが膨らむのはどうしてですか?」
萩尾先生「アイデアが育つ時と育たない時があります。アイデアがやってくると自分でもビックリする時があります。」

複製原画絵を描く道具
今回の講演のために、複製原画や実際に使っているペンや道具を持っていかれ、展示されています。この道具の使い方などを説明されました。

質疑応答です。
Q「最後にマンガを描くのが嫌になったのは?」
A「2011年に東北大震災が起こったときです。こんな状態ではマンガは描けないと思いました。しかし、作家は業が深いので原発事故を元にマンガを描きました。描くことを諦めませんでした。」

Q「ボーイズラブの先駆者は萩尾先生ではないでしょうか?」
A「それは竹宮惠子さんだと思います。
私はフランス映画の「寄宿舎」を見ました。「寄宿舎」はボーイズラブの美しくて悲しいお話でしたが、最後に少年が自殺して終わるというところにかわいそうだと腹が立ちました。この少年を生き返らせたくて「トーマの心臓」を描きました。また、「11月のギムナジウム」は掲載誌が少女雑誌だったので女の子の方が良いかと思って女の子でお話をつくったのですが、女の子は不自由だと気付きました。男の子にした方が生き生きとしました。」

質疑応答時の質問者は日本人でした。おそらくシアトル在住のファンの方たち。英語圏の方のツイートでは萩尾先生が日本語で何かおもしろいことをおっしゃると、半分くらいの人が即座に笑うのですが、続いて翻訳の方が翻訳すると、そこで残り半分が笑うという感じだったようです。

講演終了後のサイン会の予定はなかったのですが、会場のファンの皆さんの情熱に押されてサイン会になってしまったそうです。日本人だけでなく、さまざまな国の人がいたそうで、さすがアメリカですね。



シアトル郊外の中学校翌11月3日はシアトル郊外の中学校で講演会が開かれました。珍しく雪が振っていて、紅葉と雪のコラボが素晴らしかったそうです。

シアトル校外の中学校2うって変わって講堂のようなところですね。子どもたちと距離があるようですが表示されている画面が大きいので、大勢いるのでしょうか?「11人いる!」をメインに「イグアナの娘」の話をなさいました。

シアトル校外の中学校3まずは萩尾先生のご紹介。マンガ家になったきっかけ、そのきっかけとなった手塚治虫作品のお話。デビュー作「ルルとミミ」の紹介。「ルルとミミ」はアメリカのお話ですと説明しました。

「11人いる!」のお話。宮沢賢治の「座敷ぼっこ」という民話からお話を考えたこと。

「イグアナの娘」のお話。これは両親との葛藤を描いたものです。萩尾先生が子どもたちに問いかけます。「親はやりたいことを応援してくれますか?」ほぼ全員が応援してくれると手をあげました。先生は思わず拍手したそうです。「両親の反対がマンガを描く力となりました。親が願う娘になりたかったのですが、マンガを描きたい気持ちを優先させました。いつか親はわかってくれると思っていました。」

ほかにもいろいろな作品を映像で紹介しました。

「自分にとって生きている世界は謎が多いので、世界への疑問を掘り下げるとストーリーが浮かびます。」と。

質疑応答では子どもたちがこぞって手をあげてました。萩尾先生の講演会であんなにたくさんの手があがるのは初めて見たそうです。さすが、アメリカの子どもたち。「描く時間はどのくらいですか?「どうやってデビューしたのですか?」などなど。
講演が終わった後も先生に質問していたそうです。「ポケモンを知ってますか?」から「どうやれば絵が上手くなれますか?」.........。モジモジした日本人と違って、積極的でいいですね。


ファンタグラフィック社のサイン会11月4日は「トーマの心臓」「バルバラ異界」の英語版を出版しているファンタグラフィック社のサイン会。

アメリカのコミコン(コミケ)の小さいもののような感じですが、多くの人で賑わっていたようです。ファンタグラフィックスがブースを出すのでサイン会を1時間ほどしてくれないか?と急遽申し込みがあったので快く引き受けた先生。サイン会というようなきちんとしたものではなく、ブースに座ってやってきたお客さんとお話しするという感じだったそうで、まさにコミケ・スタイルですね。自らも出店していたアメリカ人の作家がサインをもらいにきていたり、すでに本を持っているのにサインのためにもう一冊買い求めている人がいたりしたそうです。

icaf2017今回のワシントン大学での講演ですが、ワシントン大学のイベントページに記載されているsponcerのうち、主催はInternational Comic Arts Forum(国際マンガアートフォーラム)で、おそらく後の団体が後援かと思います。Japan Arts Connection Lab(シアトルにある日本文化研究の団体)、 UW Japan Studies Program(ワシントン大学日本研究プログラム)、The Simpson Center for the Humanities(シンプソンセンター。ワシントン大学にある研究所) 、Fantagraphics(「バルバラ異界」「トーマの心臓」英語版を出した出版社)。

現地の方たちのツイートをまとめました。


次はオレゴンです。オレゴンからのレポートはまた。

2017.11.06 15:15 | イベント