2012年8月14日

カタログハウスの小室等さんとのトークショー・レポート

小室等さんが「カタログハウスの学校」でやっている「小室等の聞きたい聴かせたい」というセミナーに萩尾先生が呼ばれた形でのトークショー。カタログハウスと萩尾先生のつきあいのきっかけはこちら
場所は新宿カタログハウス本社地下1Fの150名ほどのセミナールームでした。
小室等さんが司会進行をされ、歌も歌い、休憩を挟んでたっぷり2時間の催しものでした。ギターとテナーウクレレをもち、「介護!」と呼ばれると登壇するお嬢さんのシンガーソングライターこむろゆいさんと一緒に歌を歌われていました。


小室:萩尾さんは3.11の後、何も手がつかなかったそうですが、それから仕事をする気になったきっかけについてお話されていましたが。

萩尾:津波で海岸線がなくなっていく様子を見ていて、すごいショックだったのですが、同時に福島の原発が事故を起こしてしまい、水がない電源がないと聞いたときに、これはもうメルトダウンするのではないか、いつそれを発表するのだろうと思ったのに、テレビではずっと「今のところ心配はありません」とずっと言い続けていて、自分の不安な気持ちとマスコミの情報の前にどんどん落差が出てきてしまった。心配のもっていき場がなくて、本当に何も手がつかない状態になってしまった。

そうしたら、友達がお花見に誘ってくれて、ちょっと経済を回しましょうということで、そこで地震と原発事故の話になったら、一人そういったことに詳しい人がいて、チェルノブイリでは汚染された壌土を回復させるのに植物の種を蒔いて、その植物に放射性物質を吸収させていると聞いて、(今回の事故で)飛散してしまった放射性物質はどうすることも出来ないのだろうなと思っていたら、そんな方法があったのかというので、インターネットで調べました。
するとチェルノブイリでの実践だけでなく、福島でもすでにその取り組みが始まっていることを知り感動した。もうダメだと思ったところに、ちょっと希望がわいてきて、その「希望」の話を描きたいなと思った。事故直後だったので、今発表しても良いのだろうかと思い、小学館の編集さんに「こういう題材で描きたいのですがいいですか?」と聞いたら、わりと簡単に「いいですよ」と言っていただいた。そして準備しているところにしりあがり寿さんが「あの日からのマンガ」を(連載し)初めて、それも3.11以後の世界を描いたもので、他にも描いてくれてる方がいると勇気づけられて、描きましょうという気になった。

小室:もし、チェルノブイリで植物に吸収させている情報を手に入らなかったら、どうなっていましたか?

萩尾:手に入っていなかったら、まだずっと悶々としていた。

小室:それほどの手につかない、あるいは私はもう描けない、描きたくないという状況になったことが過去にありましたか?

萩尾:私はだいたい4年に1度くらいスランプになって、どこかに逃げ出したくなってしまうのですが、そのときはわりと気楽な感じで、どこかに行ってしまうので、気持ちとしては解放された感じですね。

小室:もう描かなくていいんだ、みたいな感じですか?

萩尾:いえ、また戻るだろうなと思うのだけれど、とりあえず今はちょっとおいといて、という感じだった。それがそのときは生活全般において楽しいことが考えられない。楽しい映画を観に行くとか演劇を観に行くとか、旅行に行こうとか、クリエイティブな方向に行こうという発想が全然浮かばなくて、毎日新聞を見ながら「まだ大丈夫だと言ってるが、本当にどうなるんだろう?」とずっと頭がぐるぐる回ってしまっていた。今でも思うが、本当に信じられないことが起こってしまった。原子力発電所の事故なんて私はSFの世界でしか本で読んだことがなかった。もちろんスリーマイル島でもあったし、チェルノブイリでもあったけど、あれはアメリカだから、あれはソ連だからと思い、スリーマイルの方はわりとすぐに収まったし、(自分は事故に対して)距離をおいていた。それにこんな型の原子炉は日本にはないと聞いていたし、自分も原子力の安全神話というものを信じていて、(事故は)起こらないだろうと。信じていたけれど、確証は全然ない。根拠なく信じていたんです。

その事故(3.11の原発事故)が起こったとき、原子力発電所ってどれだけ壊れるんだろうと思い、インターネットで調べて行ったら、過去に世界中の原子力発電所で起こった事故の列がだーっと出てきて、本当に知らなかったけど、メルトダウンすれすれのところまで、いろいろなところで事故が起こっていた。絶対安全だと言っていたけれど、こんなに事故が起こっていたのかと、本当に根拠のない神話を私自身根拠なく信じていたんですね。なんて馬鹿だったのかなと。

こんなSFの世界でしか読んだことがないことが、日本の(自分のいる場所から)すぐそばにある福島で起こってしまって、どうすればいいのか?これは火星人襲来に匹敵するくらいの惨劇ではないかと。頭の中で混乱してしまい、本当にどちらかに向けて立ち直りたいけれど、どちらに向かって行けばいいのか、全然わからないという状態で、プチ鬱なんて言葉がありますけれど、非常に鬱々としていましたね。

小室:そういうときに自分がどちら側にいるのか立ち位置がわからないことと、自分の命が惜しいのか、世界が壊れることが怖いのか、ということが判断つかなかった。どんな感じでしたか?

萩尾:私が産まれる前に第二次世界大戦があり、広島長崎に原子力爆弾が落ちた。小学校の修学旅行で長崎に行き、二度とこういうことが起こってはいけない、みんな戦争のない平和な世界を望んだ。日本の社会はその方向へ進んで行くのだろうと思っていた。冷戦時代にソ連とアメリカが核開発の競争をしたけれど、一方では宇宙船アポロが月に行ったりして、明るい未来に行く方向もあった。だからソ連邦も崩壊したし、局地戦もあるし、アフリカは飢餓でたいへんだけれども、やっぱり世界はある部分ではゆるぎなく、ちゃんと続いていくだろうと思っていた。ところが、あまりにも3.11の衝撃が大きくて、そのゆるぎなく続いていくだろうなと思っていた気持ち自体が非常に揺れ動いてしまって、世界がどうなるか本当にわからない状態になってしまったのです。震災の被災(の映像)が次々入って来ると、町ごとなくなっている、村ごとなくなっている、空港が水没している。原発の避難区域がパタパタと広がって行き、30km圏内になったけれど、アメリカは80km圏内だと言っている。美術品やエンターテイメントが来ない。成田空港の発着が禁止された。児童絵本の展示会に行く友達は成田からは行くなと言われて関西空港から飛んだ。こういったことを見たり聞いたりしていると、この事故・汚染はいつ収まるのかなと思って放射能の半減期などを調べると、私自身が生きているうちは収まらない。

小室:そういう時期にレディ・ガガのパワーはすごい。しかも日本に来るし。何か励まされますよね。自国にいる僕等は何をやっているのだとカツを入れられた気がした。

萩尾:音楽の力はすごい。一人のスターがやってきて、みんな頑張りましょうといって、励まされた。

ここで小室等さんの歌。
・雨のベラルーシ
・明日も公園へ行こう


(ごめんなさい。ここからはしょります...。)

ここで小室等さんが「なのはな」の本を出す。萩尾先生自ら解説を始めます。

「ブルート夫人」
プルート夫人はプルトニウムの化身。マドンナ、レティガガのような絶世の美女。
キューリー夫人から始まる放射性物質の歴史を紐解くと、マンハッタン計画など人類は新しい科学に魅せられている。
放射性物質に惹かれるのは人間の性(さが)のようなものではないか。


「雨の夜―ウラノス伯爵」
ウラノス伯爵はウランの化身でイケメン。
すばらしい未来を約束してくれる存在。お金や豊かな生活を望む人と、安全な大地と水や食べ物を望む人が同じ席で言い争う中、ウラノス伯爵が死んでしまうと、安全を主張し、ウラノス伯爵に反対していた女性が「愛しているから死なないで」と言ってすがりつく。これは何故か。自分にもわからない(笑)。作者が言わせたのではなく、キャラクターが勝手に言い出したこと。自分でも何故かわからないまま描いている。

「サロメ20XX」
オスカー・ワイルドのサロメを下敷きにしている。
王女は7つのベールのおどりをほめられて王様に褒美をもらう。その褒美はヨカナンの首。ヨカナンはどうしてあんなに美しいサロメをそこまで嫌うのかがきらいなのか?と思って描いた。ここではサロメにヨカナンにとらえられて地下牢に閉じこめられてしまう。サロメは放射性廃棄物だから10万年も閉じこめられる。こんなにみんなのために尽くしてきたのに、閉じこめるなんてひどい!と叫ぶサロメを哀れに思うようになった。


小室さんに「萩尾さんは原子力発言について結局どう思う?」と聞かれ、「急には無理だけれど、なくしていく方向に行った方が良いと思う」と答えられました。その後に...

これら三部作では原子力に反対するけれど、実は好きなのではないか?という人間の性質について考えてみた。

人間の脳の前頭葉には「仮定の未来を考える」ことと、「リスクを甘くみる」の両方の面があって、それで相殺されてしまう。なので、たとえ電気料金は高くなっても、リスクが少しでも減った方がいいのではないかと思う。

人間の幸福は経済発展だけなのか、経済がまだ発展するという幻想をもっているのではないだろうか?ブータンのように幸福度の追求しても良いのではないか。

今、学校で教えていることは大量生産時代のもの。だが、経済発展が頭打ちになっていることを生徒たちも知っていて、その閉塞感からいじめなどに走っているのではないか?と感じた。


小室さんの歌がまた入ります。
「原子爆弾の歌」「ゲンシバクダンの歌」(六文銭&小室等。中津川フォークジャンボリー)
別役実の詩で、1970年代はじめにレコード制作基準倫理委員会により発売禁止になった歌。紀伊國屋書店、西武デパート、忠犬ハチ公がふっとんだという歌詞を含んでいる。何故発売禁止になったのかと方々聞いてまわったら、みだりに公共物を破壊してはいけないとのこと(これを聞いて萩尾先生が替歌を作られていました。でも内容を忘れてしまった...。)

小室:手塚治虫の「鉄腕アトム」は原子力燃料で動く。鉄腕アトムが原子力の推進に貢献したことは間違いない。
萩尾:原子力は永遠のエネルギーであると信じていた時代のフィンタジーである。アトム一家が福島を除線しに行くお行く話を考えた。描いてないが。

ここで小室等さんの唄。
「鉄腕アトム」のアニメ版で使われる曲は1970年に谷川俊太郎が詩を描いた。これを谷川の息子である谷川賢作編曲によるバージョンで歌ってみます。
その谷川俊太郎が最近「103歳になったアトム」という詩を書いたので、これも。


小室:3.11以後何が変わったか。

萩尾:元々SFファンタジーが好きで、未来シミュレーションタイプのSFが好きだった。このベースとなる足元が崩れてしまったので、すべてを再構築している感じ。

小室:3.11以後、表現者としての窮屈さはないですか?

萩尾:漫画の「漫」という字は"何でものみこむ"という意味があり、窮屈さは感じない。


質問コーナー
Q:「王妃マルゴ」をどうして描かれたのか

萩尾:スカパーでコスチュームものがあると衣装を楽しんで見ていた。その中にグリフィスの「イントレランス」があり、バーテルミーの虐殺はマルゴーとアンリ4世の結婚の4日後で、どうしてそんなことが起こったのか興味があると『YOU』の編集者に言ったら、資料をどっさりもらってしまった。それが3~4年前。
歴史物は初で慣れてないせいか、早速間違いを出してしまった。コンデ公の奥さんはエレオノーレというのに、まちがえてシャーロットと描いてしまった。単行本になるときに直します。こういうミスは山のようにしてるので、人のミスにも寛容です。

小室:とりかえしのつかない間違いはありますか?

萩尾:表現は人を傷つけてる可能性があるが、それがここまでは傷つくだろうとわかっているときは、描いてしまう。しかし、自分がわかってないで傷つけてるとしたらと考えると困る。

Q:「残酷な神が支配する」はどうして描かれたのか。

A:家族とうまく意思疎通できない時期があり、それは何故だろうと考えて心理学の本を読むようになった。最終的には占いの本に行き着き、単に「相性が悪い」ということがわかった。

それらの本を読んでいるうちに、児童虐待の話を読むようになり、虐待者である父親の言葉、被虐待者である娘の言葉はあるものの、母親の言葉が載っているものがなく、探したら一つだけ見つかった。母親は常に楽観的で、夫は反省しているし、なかったことにしようと言う。結局離婚してしまうが、母に反発して娘は「あなたは目が見えていない」と言う。それでも何も考えていないかのような母親だったが、父親が再婚すると、大きなショックを受ける。すでに離婚もしているのに、何故か、それだけ依存していたのだということを、母親自身が初めて知ったと告白している。その母親のことも描きたくて、「残酷な神が支配する」を始めた。
最初は虐待する父親をさっさと死なせて、母親や被虐待者である子供のことを描こうと思っていたが、どんどん父親を描くのが楽しくなってしまい、なかなか死ななかった。

Q:絵の勉強はどこでしたのか?
A:デザインの専門学校に行き、2年間デッサン、クロッキーを習った。最初は、手塚治虫の絵や西谷祥子を真似て描いていた。矢代まさ子そっくりと言われたこともある。

Q:エドガーとアランの話の続きは?オスカーはもう出てこないのか?(この質問、こういうトークショーだとほぼ必ずと言って良いほど出ますが、先生うんざりせずにお答えなさりました。ファンのみなさん、同じお答えだと思うので、もうやめませんか?)
A:エドガーとアランの続きを描くにはもう歳をとりすぎました。オスカーのいとこ、はとこくらいなら描けるかもしれない。


会場へ行ってチラシを見て初めて知ったのですが、当日終演後にサイン会がありました。会場入口では本が4冊(なのはな、文藝別冊、対談集2冊)販売されていて、1冊につき1回サインをして下さるとのこと。

20120811.jpg私は「なのはな」は3冊目ですが、購入して列に並びました。実を言うと、目の前でサインしていただくのは初めて。一緒のお写真は恥ずかしくて撮れませんでしたが、握手していただき、感激しました。他の方のサインをしているところを撮影し、その場でサイト掲載の許可をいただけたので、アップします。

撮影の腕が悪いのでわかりにくいですが、緑色の素敵なお召し物で、石のアクセサリーをなさっていました。先生は年齢を経るごとにお美しくなっていかれているようです。後光がさしていました。


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