2017年2月 1日

萩尾望都先生の朝日賞贈呈式・祝賀パーティが開催されました

朝日賞贈呈式お花2017年1月31日(月)、朝日賞の贈呈式・祝賀パーティが帝国ホテルにて開かれました。
帝国ホテル2階、孔雀の間で16時より贈呈式が始まりました。朝日賞3名・1団体、朝日賞特別賞1団体、大佛次郎賞1名、大佛次郎論壇賞1名、朝日スポーツ賞1名・1団体とその関係者合計約1,000名ほどの大規模な贈呈式です。
贈呈式会場入口には多くのお花がかざられ、萩尾望都先生には小学館、小学館フラワーズ編集部始め、集英社、講談社、白泉社から贈られたお花が並んでいました。

贈呈式は、朝日賞から始まり、萩尾先生は2番目です。最初にブロンズ像と賞状とブロンズ像が贈られ、それから受賞者のスピーチとなります。必死でメモしましたが、聞き惚れてしまい、全文は無理でした。大意としては以下のようなものでした。

朝日賞という、名誉ある賞をいただき、たいへん驚いています。そしていろいろな意味で感動しています。

漫画は昭和30年代に子供の文化として広がりました。ですが、漫画ばかり読んでいると子どもが勉強しなくなる、子どもに悪い影響を与える、と大人から嫌われていました。

小学生の頃、私は漫画が大好きな子供でした。漫画の中には小説のようなドラマがあり、映画や絵画のような美しい映像があり、言葉には歌があり、画面から音楽を感じさせられました。一枚の紙の上にすべてがある。それは子どもの私にとって奇跡のような、不思議な魔法のようなものでした。大人から批判されましたが、私は、漫画は美しいもの、新しいもの、豊かなものだという自分の感覚を信じることにしました。

今回、「漫画表現の革新と長年にわたる創作活動」という受賞理由をいただきましたが、「漫画の革命」は私が子供の頃から始まっていました。手塚治虫先生をはじめとする多くの漫画家が表現の革新という波を起こしました。私はその波を浴び、好きな世界で仕事をすることができました。編集者、出版社、書店の皆さん、そして読者の皆さんに、心より感謝申し上げます。

私の両親は私が漫画家であることをずっと恥ずかしいことと思っていました。ですが、2010年に水木しげる先生の奥様を主人公にした「ゲゲゲの女房」というドラマがありました。それを見た母が電話をかけてきて「お母さんは知らんかったとね。失礼しました。」と言いました。母が謝ったのは初めてでしたので、びっくりしました。人間、意見を変えることもあるんだなぁということがわかりました。そしてその後は「私は娘が漫画を書くことに反対したことはありません。」と、過去を改ざんしていました。

現在、漫画は日本の文化として世界中に広がっています。この先も若い漫画家の方たちが、この波をずっと続けていってくださることを願っています。

20170131b.jpgこのとき会場にいたのは文化・学術、小説・評論、スポーツの関係者です。高齢の男性も多く、堅い空気を感じました。そんな中、萩尾先生は壇上で漫画の素晴らしさを堂々と、高らかに語ってくださいました。子供の頃から信じてきた道を突き進んで来られたことを誇りに思っておられることが感じられ、とても感動しました。

朝日賞贈呈式展示会場入口には受賞者の業績を説明するスペースがあり、萩尾望都先生のコーナーには以下のものがおいてありました。
1.手塚治虫文化賞受賞トロフィー
2.インクポット賞トロフィー
3.『月刊YOU』2016年8月号
4.「トーマの心臓」英訳
5.「萩尾望都SFアートワークス」
6.1979年のアマゾン旅行の際にハンモックで眠る萩尾先生
7.「ポーの一族」1~5巻
8.「王妃マルゴ」1~5巻
贈呈式展示9.「文藝別冊 萩尾望都」
10.「なのはな」新装版
11.『月刊flowers』2016年7月号

また、『朝日新聞』紙上に掲載された萩尾先生の記事やコラムが張り出されていました。「私空間」というコラム、4回に渡って掲載されましたが、懐かしいです。

尚、伊調馨さんのスピーチの中に「アスリートは言葉では語りません。結果で語ります。」というスピーチもカッコよかった。大佛次郎論壇賞受賞者の森千香子さんのスピーチも素晴らしいものでしたが、選考委員の酒井啓子さんの選考理由解説がまた含蓄深く、感動しました。

萩尾望都先生朝日賞受賞贈呈式・祝賀パーティの模様(togetter)
時代ひらく輝き、ここに 朝日賞など4賞受賞者スピーチ(朝日新聞)
6氏3団体に贈呈式 朝日賞・朝日賞特別賞・大佛賞・論壇賞・朝日スポーツ賞(朝日新聞)

【追記2017年2月6日】
スピーチの全文が出ました!無料登録が必要ですが、是非ともお読み下さい。
連載:小原篤のアニマゲ丼「萩尾望都でございます。職業は、マンガ家です」(小原篤のアニマゲ丼)(朝日新聞)

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