2017年5月 9日

「炭鉱の記憶と関西 三池炭鉱閉山20年展」に萩尾先生のコーナーがありました

炭鉱の記憶と関西 三池炭鉱閉山20年展2017年5月5日~9日、大阪のエル・ライブラリー(大阪府立労働センター)9階ギャラリーで「炭鉱の記憶と関西 三池炭鉱閉山20年展」という展示が行われました。その中に大牟田市出身で、三井三池工務所の社宅に住んでいた萩尾先生のコーナーがあったそうです。お父様が三井鉱山におつとめだったんですよね。私は行けなかったのですが、ご覧になってきた方からの聞き書きをまとめてレポートします。



大きな展示会場の一番最後の部屋で、大牟田出身の作家、マンガ家が複数紹介されていました。その中に萩尾先生のコーナーもありました。

まず、大牟田での少女期の写真とエピソード。主に「文藝別冊 萩尾望都」に掲載されていたもので構成されています。

次に大牟田のマンガ集団「キーロックス」の活動のパネル。萩尾先生が大牟田時代に活動していたマンガ集団「キーロックス」の活動(同人誌名が『キーロック』)のお話。この集団から萩尾先生、福山庸治さん、原田千代子さんの3名がプロデビューしています。メンバーであった藤井法行(ペンネーム池田法行)さんの文章と高校時代の萩尾先生が藤井さん宛の手紙の中で描いた6点の作品がパネル展示されています。(でも肝心の肉筆回覧誌『キーロック』の現物は見当たらず...)

文章の方では、男性ばかりのロックバンド「キーロックス」4名のうち3名がマンガを描いていて、前述の藤井さんのいとこに原田千代子さんがいて、原田さんの方にマンガを描く女子4名のグループがあり、合流しました。萩尾先生は原田さんの友達の中にいました。1965年末頃、萩尾先生は高校2年生でした。大阪から大牟田に戻る直後からでしょうか。萩尾先生が楽しく同人活動をされていた様子が書かれています。

萩尾先生は高校を卒業後、1967年春から福岡市のデザイナー学院に入学。その後も東京に行った原田さんや福山さんとの手紙での交流は続いたそうです。1968年4月『別冊マーガレット』1968年5月号の少女まんがスクール 第11回で(萩尾望東名義)「ミニレディが恋をしたら」が金賞に入賞し、続いて同年7月号では「青空と王子さま」で銀賞に入賞した話が書いてありました(パネルに「星空~」とあるのは間違い)。


萩尾先生のコーナーには多数の本と複製原画(COMIC JANGLEの時の「ポーの一族 すきとおった銀の髪」)が展示されていました。同人誌で有名な「迷宮'76 萩尾望都に愛をこめて」や萩尾先生のお父様の「南方記」まで。「ヒットソングアルバム」のルネの「小さな生命」西城秀樹「涙と友情」といったちょっとレアな切り抜きもそうですが、『なかよし』1969年8月夏休み増刊号(「ルルとミミ」の掲載号)の実物はなかなか萩尾先生の原画展などでもお見かけしない貴重なものですね。展示の逆の方にガラスケースがおいてあり、「原田誠一コレクション」と銘打って貸本や雑誌、貸本の生原稿までがおいてありました。


「炭鉱の記憶と関西 三池炭鉱閉山20年展」
2017年5月5日~9日 10:00~19:00
エル・おおさか(大阪府立労働センター)9階ギャラリー(主催:エル・ライブラリー、関西・炭鉱と記憶の会)

2017年6月6日~30日 10:00~16:00(日曜休館。6月11日は特別開館)
関西大学博物館(主催:関西大学経済・政治研究所、エル・ライブラリー)

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